どことなく影のある役が似合ってしまう大東駿介 (だいとう しゅんすけ) さん。
大東さんは2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』に出演することでも話題です。
今回は、そんな大東さんの父親が俳優をしていたという話題や
両親の離婚が大きく影響したという生い立ちについてお伝えします。
最後までお読みいただけるとうれしいです。
大東駿介の父親は俳優だった!
大東駿介さんの父親はタクシー運転手でしたが、かつて俳優をしていました。
実は、ちょっとだけ親父も役者をやっていたという共通点もあるんです。今は遺伝子レベルで親父とのつながりを感じています。(https://woman.mynavi.jp)
と大東さんが語るように、お父さんが役者をしていたのは短い期間で、
おそらく若い頃に俳優として活動されていたのでしょう。
昔から映画が好きで、俳優という仕事にあこがれていたという大東さんですが
お父さんの役者をやっていたというDNAが受けつがれている可能性が高そうです。
大東さんはいわゆる二世俳優ではないものの、同じ職業でお父さんとつながりがあるのは
やはり誇らしい気持ちなのでは、とも思えます。
(画像引用元:https://eiga.com)
ちなみに大東さんの父親について検索すると、俳優の中井貴一さんの名前が出てきます。
おふたりには血縁関係はありませんが、時代劇『雲霧仁左衛門』での共演したことで
大東さんは次のように語っています。
俳優・大東駿介の父親は貴一さんだなと実感しています。
(https://www2.nhk.or.jp より)
おそらくドラマの撮影を通して、大東さんは中井さんに「父親」に抱くような
憧れと尊敬の気持ちをもっていたのかもしれませんね。
中井貴一さんは大東さんにとって芸能界でのお父さんと言えそうです。
ところで、大東さんの本当のお父さんですが、大東さんが8歳のときに失踪してしまいます。
そしてそのことでご両親は離婚することに…
続けてお伝えします。
大東駿介の両親は離婚!
大東駿介さんが8歳のときに父親が失踪し、その後両親が離婚します。
離婚のいきさつについては触れられていませんが、以前にも大東さんのお父さんは
家に帰ってこないことが多かったので、失踪が離婚の決定打となったとも考えられます。
でも、どのような理由があったにせよ、残されたお母さんと大東さんにとっては一大事。
幸い、大東さんのお母さんはクリーニング店を経営していたため、
すぐに生活が行きづまることはありませんでした。
大東さんもタクシー運転手だった父親が家にいないことに慣れていたので、
それほどダメージはなかったといいます。
しかし、大東さんが中学生のころ、今度は母親が家に帰って来なくなりました。
お母さんは、自分しか大東さんの保護者がいないことを知っていたはずなのに…!
息子よりも大切なもの?人?を見つけたにしても、大きな裏切りですね。
お母さんが家に帰ってこなくなり、たったひとり残された大東さんの生活は一変しました。
続けてお伝えします。
大東駿介の生い立ちが壮絶だった!
両親の離婚から数年後、母親が家を出て行ったことでひとりになった大東駿介さん。
中学生だった大東さんがまず直面したのは「お金」の問題でした。
手元にわずかなお金が残っているうちは
・買ってきたもの (牛丼など)
・家にあったスパゲティにポン酢をかけたもの
などを食べてしのいでいましたが、それができなくなると
自宅クリーニング店のレジの1円玉を集めて10円で買える駄菓子を主食にするように。
そして、昼食にお弁当が必要だった中学校にも、中学2年生の途中から行かなくなり
大東さんの生活は、だんだんと追いつめられていきます。
中学生といえば、まだまだ成長期でどんなに食べてもお腹が空きそうな年ごろ。
そんなときに食べものを手に入れるために苦労しなければならないなんて…!
さらに、家のライフラインも止まったことで、大東さんはひきこもりの状態になりました。
生活していくために必死だった大東さんでしたが、
「両親に必要とされていない自分を、誰が求めてくれるのだろう」と自分の価値を見失ったことが一番苦しかったです。(https://www.yomiuri.co.jp より)
と、自分の存在価値を信じられなくなったことが何よりも辛かったといいます。
大東さんは自分の部屋のあった3階から飛び降りようと考えたこともありました。
でも大東さんは
親が認めてくれへんなら、他の多くの人に認めてもらえるように生きよう。(https://www.yomiuri.co.jp より)
と、生きることにベクトルを向けます。
中学生という多感な時期に、大きすぎる重荷を背負うことになった大東さん。
そんな大東さんの辛い生活は、およそ1年ほど続きました。
当時の大東さんは自分から助けを求めることは難しかったといい、
自分が大丈夫な「ふり」をしていたのだろう、とも語っています。
大人でもくじけそうな逆境を乗りこえてきた大東さんの精神力には、ただただ頭が下がります。
大東さんが現在、俳優として深みのある人物を演じられるのは
壮絶な生い立ちを乗りこえてきたことがにじみ出ているからなのでしょう。
結局、大東さんは伯母さんに引き取られ、中学校に復学。
そののちに高校にも進学しました。
伯母さんと暮らしながらバイトもして、大東さんは楽しい高校時代を過ごしたそう。
辛かった日々も少しずつ払拭されていったのではないかと思いたいですね。
そんな中で、大東さんは両親にたいしてどんな思いを抱いていたのでしょうか。
その後のご両親との関係とあわせて、続けてお伝えします。
大東駿介のその後の両親との関係は?
お伝えしたように、大東駿介さんが小学3年生のときに父親が失踪。
中学2年生のときには母親も家を出て行ってしまいました。
そんな両親のことを大東さんは
死ぬほど恨みましたね (https://withnews.jp より)
と言っていますが、当然と言えば当然すぎる感情です。
大東さんは、高校に入学するときに母親と会う機会がありました。
そのとき、お母さんから一緒に暮らさないかという話があったものの、大東さんは拒否。
以後は母親とは会っていないといいます。
おそらく大東さんは中学生のころ、お母さんがいつか戻ってくるのではないかと
苦しい日々の中で信じていたのではないでしょうか。
それだけに大東さんがお母さんを許せない思いは大きいのかもしれません。
一方お父さんについては、大東さんが20代前半のころ行方がわかりました。
失踪から十数年たってからのことです。
そのころの大東さんはお父さんに会う気にはなれませんでしたが
25歳ごろに会ってみようと思ったときに、すでにお父さんは他界されていたとか!
お父さんの遺影を見ても実感がわかなかったという大東さんでしたが
それまでの父親の生きざまを調べることに。
そして、亡くなられてからの方がお父さんのことを好きだと思える、とも話しています。
大東さんはお父さんについてはこんなことを。
親父は不器用だけど、めちゃくちゃドラマティックな生き方をしている人なんです。いろいろなものを巻き込んで、いろいろなものを失って。親父のそんな生き様にものすごく生命力を感じて影響を受けていますね(https://woman.mynavi.jp より)
不器用だけど、ドラマティック!
大東さんの言葉には、お父さんにたいするあたたかい感情が込められていますね。
複雑な思いもあるでしょうが、大東さんがお父さんの生き方から
いろんなことを学んできたのはたしかなようです。
つづいて、大東さんのwikiプロフィールをご紹介します。
大東駿介のwikiプロフィールは?
大東駿介さんのwikiプロフィールは、こちらになります。
本名 大東弘典
生年月日 1986年3月13日
出身地 大阪府堺市
身長 182 cm
血液型 A型
出身校 大阪府立堺工業高校
事務所 BLUE LABEL
大東さんは高校卒業後に上京し、いとこの家に住みながら雑誌モデルとして活動をはじめます。
そして、19歳の誕生日にトップコート杯「Try to Top 2005」での受賞がきっかけで
大東さんは『FINEBOYS』(日之出出版) の専属モデルに。
同じ2005年に『野ブタ。をプロデュース』で俳優デビューした大東さんは
現在まで『新・ミナミの帝王』をはじめ朝ドラや大河ドラマなど多くの作品に出演しています。
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、前田利家役を演じることになっている大東さん。
織田信長や豊臣秀吉といった名だたる武将と関わることになる前田利家は
若い頃は「やんちゃ」だったともされる人物です。
そんな前田利家を大東さんが味わいのある人物に演じてくださりそうで
利家ファンでなくとも注目したくなりますね。
今後も大東さんの演技から目が離せません。
今回は大東駿介さんについて、両親や、生い立ちなどの話を深堀りしてお伝えしました。
・大東さんの両親は離婚
・大東さんは、母親が中学生の時に出ていったことで生い立ちが壮絶に
・大東さんの両親とのその後は?
大東さんには、これからも人間の奥深さを表現できる俳優としてご活躍いただきたいですね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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