「鎌倉殿の13人」で、公暁 (こうぎょう) 役を演じたことでも話題になった
寛一郎 (かんいちろう) さん。
寛一郎さんは、父・佐藤浩市さんも
祖父・三國 連太郎さんも俳優というすごいDNAの持ち主です。
今回は、そんな寛一郎さんには兄弟がいるのか、母親は誰なのか、
などご家族についてお伝えしたいと思います。
最後までお読みいただけるとうれしいです。
寛一郎の母親はだれ?
寛一郎さんは父 (佐藤浩市さん) も、祖父 (三國連太郎さん) も有名俳優です。
そんな寛一郎さんの母親は誰なのでしょう?
寛一郎さんの母 (佐藤浩市さんの妻) は、以前 舞台俳優として活動していた広田亜矢子さん。
(画像引用元:https://www.pinterest.jp)
寛一郎さんの母・亜矢子さんのいとこが女優の広田レオナさんで、
佐藤浩市さんと亜矢子さんの交際のきっかけをレオナさんが作ったのだとか!
寛一郎さんには、父と祖父だけでなく
母の亜矢子さんからも俳優のDNAが受けつがれているのですね。
寛一郎さんの母親については、こちらの記事でご紹介しています。あわせてどうぞ。
続いて、寛一郎さんの兄弟についてお伝えします。
寛一郎の兄弟は?
寛一郎さんはひとりっ子ですが
父・佐藤浩市さんにはモデルだった前妻との間にも息子さんがひとりいます。
というわけで、寛一郎さんには異母兄がいることに。
その寛一郎さんのお兄さんについては、
まったく情報が見当たりませんので一般の方だと思われます。
佐藤浩市さんと前妻の息子さんとは交流がないようですので
寛一郎さんとお兄さんも兄弟としておつき合いされているのかは微妙です。
でも寛一郎さんとお兄さんは、どこかで不思議なつながりがあって、
年齢を重ねていくうちに、兄弟の絆を感じることもあるかもしれませんね。
続いて、寛一郎さんの父・佐藤浩市さんについてご紹介します。
寛一郎の父は佐藤浩市!
寛一郎さんの父・佐藤浩市さんのプロフィールはこちらです。
生年月日 1960年12月10日(2022年10月現在 61歳)
出身地 東京都新宿区
身長 182 cm
血液型 A型
所属事務所 テアトル・ド・ポッシュ
父・三國連太郎さんの撮影現場に連れて行かれたといいます。
その影響で、浩市さんは早くから映画俳優を目指すことに。
寛一郎さんも、同じように父・浩市さんに
幼いときから撮影所に連れられて行っていました。
そのため、寛一郎さんにとっては役者になることは自然な流れだったともいえそうです。
しかし、寛一郎さんが役者になると告げたときに浩市さんは次のように。
お前が役者になるのに。反対する理由はない。だが、食えなかったら食えないで、しょうがないと思え (https://www.excite.co.jp より)
「親の七光り」ということばがあるように、有名人の親をもつと
子供も苦労なくその土台を受け継げそうな印象があります。
自身も二世俳優であり、役者の世界のむずかしさをご存知の佐藤さんだからこそ
同じ道を選んだ寛一郎さんに対して厳しい言い方になったのでしょう。
でも、寛一郎さんにとって浩市さんは俳優の先輩として、
そして父親として、背中を追いかけていきたい存在にちがいありませんね。
そんな寛一郎さんと父・浩市さんの共演した作品について、続けてお伝えします。
寛一郎と父・佐藤浩市との共演は?
寛一郎さんと佐藤浩市さんは、映画『一度も撃ってません』(2020年) で初共演。
また、佐藤さんと寛一郎さんは2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に
半年の時間差?で出演し注目されました。
佐藤さんと寛一郎さんが同じシーンの出演でなかったのが残念でしたが…!
最近では、佐藤さんと寛一郎さんは2023年4月に公開された
映画『せかいのおきく』で共演しています。
(画像引用元:https://kyoto.uplink.co.jp)
この作品の中で、佐藤さんと寛一郎さんの2人だけのシーンがあり、
それは寛一郎さんによると
すごく好きだし、いいシーンになりました
(https://imakana.kanaloco.jp 2023年5月2日公開 より)
とのこと。おふたりの間にいい感じの空気が流れていたようです。
佐藤さんと寛一郎さんの共演はこれからもたくさん拝見できそうで楽しみです。
親子役などもぜひ演じていただきたいですね。
ご本人たちはやっぱり照れくさいかもしれませんが…!
続いて、寛一郎さんの祖父・三國さんについてお伝えします。
寛一郎の祖父は三國連太郎!
寛一郎さんの祖父は三國連太郎さん。日本を代表する俳優のひとりです。
三國連太郎さんのwikiはこちらです。
生年月日 1923年1月20日(2013年4月14日-90歳没)
出生地 群馬県太田市
身長 178 cm
血液型 AB型
三國連太郎さんが俳優として活動されたのは1950年 – 2013年。
三國さんは戦争の影響もあってとても苦労されたといいます。
そんな三國さんはスカウトを受けて芸能活動を始めてからは
多くの映画に出演し、ブルーリボン賞をはじめ数々の賞を受賞しました。
三國さんはウィキペディアで
個性派俳優として日本映画界を牽引し、圧倒的存在感をスクリーンに残した日本を代表する名優の1人。
と紹介されるように、日本の映画界に偉大な功績を残した俳優のひとりです。
寛一郎さんにとっては祖父が名優であることは誇らしいと同時に、
プレッシャーを感じるのでは?という気もしますね。
三國さんが亡くなられたとき、寛一郎さんは高校生でした。
寛一郎さんは、
三國の芝居は、彼が亡くなった後、自分が役者を始めるぐらいから見ました。化け物だと思います。超越した人だった。戦争を体験しているし、時代的なものもあるのでしょうが、演じるということにとどまらず、すごい人。『おじいちゃん』として見ていたけど、もうちょっと話したかったな(https://hitocinema.mainichi.jp より)
と語っていますが、寛一郎さんにとっては祖父の三國さんも
大先輩として、いつかは超えたい存在なのかもしれませんね。
三國さんと佐藤さんについては、こちらの記事でくわしくご紹介しています。
あわせてどうぞ。
続いて、寛一郎さんのwikiをご紹介します。
寛一郎のwikiは?
寛一郎さんのwikiはこちらです。
生年月日 1996年8月16日
出身地 東京都世田谷区
身長 182 cm
血液型 A型
出身校 成城学園高校
所属事務所 ユマニテ
身長182cmと長身の寛一郎さん。
実は生まれたときは未熟児で、こんなエピソードもありました。
寛は寛大の『寛』。僕は予定日より2カ月ぐらい早く生まれて体重1600グラムぐらい未熟児だったので、大きく伸び伸びと育ってほしい、寛大な心を持ってほしいという意味が込められたと親に聞きました(https://www.sponichi.co.jp より)
ご両親の願いどおり、寛一郎さんは伸び伸びと育ちましたね!
寛一郎さんは子供のころから映画が好きでしたが、俳優になることは考えていませんでした。
しかし、映画以外に興味をもてることがなかったという寛一郎さんは
徐々に役者になりたい気持ちを固めていったといいます。
高校卒業後ロサンゼルスに短期留学し、演技について学んだ寛一郎さんは
映画「心が叫びたがってるんだ。」や「ナミヤ雑貨店の奇蹟」などの話題作に出演。
その後の寛一郎さんは、テレビドラマや映画・舞台などで活動中です。
「佐藤浩市さんの息子」とか「三國連太郎さんの孫」と注目されることが多かった
寛一郎さんも、今後はご自身の名前だけで勝負される機会が増えそうです。
母の亜矢子さんも、そんな寛一郎さんをそっと見守っていらっしゃるのでしょうね。
今回は寛一郎さんについてお伝えしました。
父も祖父も俳優という寛一郎さんが、年齢を重ねてどんな俳優になられるのかとても楽しみです。
これからも寛一郎さんのご活躍を応援させていただきたいと思います。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。
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