佐藤浩市さんといえば、アクの強い役どころもかっこよくキマってしまう渋い俳優さん。
佐藤さんは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』『どうする家康』の2作品に
連続で出演したことでも話題になりました。
今回は、そんな佐藤さんの魅力を父親・三國連太郎さんとの話題を交えて
まるっとお伝えしたいと思います。
最後までお読みいただけると嬉しいです。
佐藤浩市の父親は三國連太郎!
佐藤浩市さんの父親は三國連太郎さん。
三國さんは、幼い佐藤さんを撮影現場に連れて行っていたといいます。
その影響もあり、佐藤さんは早くから映画俳優を目指していました。
子供の頃の佐藤さんにとって、父・三國さんの仕事現場である撮影所は活気があって、
たぶんキラキラしていて、強烈なインパクトを残したのでしょうね。
佐藤浩市さんの父・三國連太郎さんのwikiはこちらです。
生年月日 1923年1月20日(2013年4月14日-90歳没)
出生地 群馬県太田市
身長 178 cm
血液型 AB型
三國連太郎さんが俳優として活動されたのは1950年 – 2013年。
若い頃の三國さんは不本意ながら戦争に行き、中国の前線に送られ、敗戦後に収容所に。
帰国後に鳥取、福島と住まいを変えた三國さんでしたが
東京でスカウトを受けたことがきっかけで、芸能活動をはじめました。
その後の三國さんは多くの映画に出演し、ブルーリボン賞をはじめ数々の賞を受賞。
出演した映画は約180本にもおよびます。
日本の映画界に偉大な功績を残した名俳優のひとりですね。
そんな三國連太郎さんですが、息子の佐藤浩市さんとは不仲だったという話があります。
どんな事情があったのでしょうか? 続けてお伝えします。
佐藤浩市と父親・三國連太郎とは不仲だった?
佐藤浩市さんの父・三國連太郎さんは2度の結婚のあと、浩市さんの母親と結婚します。
しかし、三國さんは女性にモテる体質(!)で、結婚後もあまり家にいませんでした。
そして、佐藤さんが小学5年生のときに、三國さんは家を出て行ってしまい
佐藤さんが中学校に入る前に、三國さんと母親は離婚。
そのとき、佐藤さんは伊豆の十国峠で、三國さんに次のように言われました。
これが君との最後の別れだ。君はおふくろのところへ帰れ。僕は放浪生活を始めるから
(https://jisin.jp より)
また、佐藤さんが19歳で俳優を目指すと告げたときも、三国さんからはこんな言葉が。
僕は何も教えられないよ。だったら、親子の縁を切りましょう
(https://jisin.jp より)
三國さんの「最後の別れ」とか「親子の縁を切る」ということばは、
少し冷たく、寂しく響いてしまいますね。
佐藤さんも、父・三國さんから突き放されたような気がしたでしょう。
そんないきさつもあり、浩市さんと三國さんとの間には確執があったと言われています。
しかし、佐藤さんのデビュー(1980年)後に、
三國さんが佐藤さんのことを 「よろしく」 と関係者に頼んでいたという話も!
三國さんの父親としての顔がうかがえますね。
その後、2000年に入ってから佐藤さんと三國さんは徐々に和解したといいます。
一時は不仲説も流れていた佐藤さんと三國さんですが、
きっと傍からわからないところで、お互いを思い合っていたのかもしれないですね。
佐藤さんと三國さんがともに年齢を重ねて、
時間をかけて父子の絆を再構築されたと言えそうです。
そんな佐藤さんと父・三國さんは2度の共演があります。続けてお伝えします。
佐藤浩市と父親・三國連太郎との共演は?
佐藤浩市さんと三國連太郎さんは、映画では『人間の約束』(1986年) と
『美味しんぼ』(1996年) の2度共演をしています。
『人間の約束』では佐藤さんと三國さんが直接絡むシーンはあまりなかったため
『美味しんぼ』の方が、本来の意味での共演とされています。
(画像引用元:https://www.shochiku.co.jp)
この『美味しんぼ』での父子共演について、のちに佐藤さんは
本当にやっといて良かった。あれをやらなかったら本当に僕は今でも後悔してる
(https://www.sanspo.com より)
と言っていますので、俳優として、また親子として、
『美味しんぼ』はお互いの距離を縮めることに一役買った作品だったのかもしれません。
今、あらためて『美味しんぼ』を観てみると興味深いものがありそうですね。
続いて、佐藤さんのwikiをご紹介します。
佐藤浩市のwikiは?
佐藤浩市のwikiは?
佐藤浩市さんのwikiはこちらです。
生年月日 1960年12月10日
出身地 東京都新宿区
身長 182 cm
血液型 A型
所属事務所 テアトル・ド・ポッシュ
佐藤浩市さんが芸能活動を始めたのは1980年、19歳のときでした。
佐藤さんは、はじめて出演した映画『青春の門』(1981年) でブルーリボン新人賞を受賞。
三國連太郎さんもこの賞を受賞していたことから、
佐藤さんは、親子2代で同じ賞を受賞をしたことで話題になりました。
ご本人の実力以外のところで話題になってしまうのも二世俳優の宿命とはいえ
佐藤さんの胸中はかなり複雑だったかもしれません。
(画像引用元:https://video.unext.jp)
『青春の門』出演時の佐藤さん。初々しいですが、眼光はするどいですね!
佐藤さんはその後も実績を積み重ね、現在は芸歴も40年を超える大ベテランに!
多くの出演作品がある佐藤さんですが、どこにでもいそうな平凡な人物の役では
あまりお見かけしたことがないような気がします。
やはり佐藤さんにはクセの強い人物、あるいは心に闇をかかえているとかの、
一筋縄ではいかない複雑な役どころが似合ってしまうように思えますね。
そんな佐藤さんは、演技で「徹底的に作り込んで」リアルさを追い求める、といいます。
この「作り込んで」いく過程で、その役柄と佐藤さんが一体化するのでしょう。
現在63歳の佐藤さん。これからも役者としてリアルさの追求を続けて
まだまだかっこいい姿をみせていただけそうで楽しみですね。
佐藤浩市の家族は?
佐藤浩市さんは2度結婚しており、
最初の結婚(1986年)で息子さんがひとり誕生しています。
しかし、佐藤さんは手塚理美さんとの不倫騒動などが原因でその後に離婚。
1993年に佐藤さんは舞台俳優として活動していた広田亜矢子さんと再婚し
3年後に寛一郎さんが生まれました。
佐藤さんの息子・寛一郎さんについては、こちらでご紹介しています。
また佐藤さんの妻・亜矢子さんについてはこちらをどうぞ。
今回は佐藤浩市さんについてお伝えしました。
父の三國連太郎さんと確執があったとはいえ
今となってはすべてが佐藤さんの経験として刻まれていることでしょう。
これからも佐藤さんのご活躍を楽しみに、応援させていただきたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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