庭師、そして俳優として活動中の村雨辰剛 (むらさめ たつまさ) さん。
今回はスウェーデン出身の村雨さんが、どのようなきっかけで日本に住むことになったのか
改名のいきさつとあわせて深掘りしてお伝えしたいと思います。
最後までお読みいただけるとうれしいです。
村雨辰剛が日本に来たのは武士道に惹かれたから!
村雨辰剛 (むらさめ たつまさ) さんはスウェーデン生まれ。
村雨さんが日本に来るきっかけになったのが、中学の世界史の授業で、
友だちが発表した日本についてのプレゼンに興味をもったことでした。
それからの村雨さんは、日本の歴史や文化を勉強して、
とくに戦国時代の「武士道」に惹かれたといいます。
中学生で戦国の世の「武士道」に興味をもつなんて、村雨さんもなかなか渋いですね!
そして日本について勉強をして興味が深まった村雨さんは、日本に住みたいと強く思うように。
早くスウェーデンから出て冒険に出掛けたいと思っていたことも
村雨さんの思いを後押しすることになったようです。
村雨さんがはじめて日本に来たのは16歳のとき。3か月間のホームステイでした。
村雨さんのステイ先は鎌倉の近く。
鎌倉 長谷寺(画像引用元:https://garden-guide.jp)
ご存知のように鎌倉は幕府が置かれたこともある土地で、歴史あるお寺や神社も多くあります。
その鎌倉で日本文化、おそらく武士道にも思い切り触れる機会があったことで
村雨さんの日本への興味はますます大きくなったと思われますね。
実際、村雨さんは3か月のステイ後スウェーデンで高校を卒業し、再び日本に。
そして、名古屋で語学教師として生活をはじめました。
ところで、そんな村雨さんが庭師になり、俳優活動をはじめるまでには
どんなことがあったのでしょうか。
続けてお伝えします。
村雨辰剛が庭師になったきっかけは?
お伝えしたように、村雨辰剛さんは名古屋市で語学教師として働き、
英語やスウェーデン語を教えていました。
そのころ村雨さんは日本人女性と結婚をしていて
2011年の東日本大震災のときに、当時の妻とスウェーデンに一時帰国したことがあります。
村雨さんの結婚相手については、こちらご紹介しています。あわせてどうぞ。

震災後に日本に戻ってきた村雨さんは、もともと神社寺院やなどの建築に興味があったため
宮大工の仕事をしたいと思っていました。
宮大工! 日本の伝統文化の奥深いところにある職業ですね。
当時から村雨さんはかなりの「通」で、粋な感覚をもっていらしたようです。
しかし宮大工は専門的な仕事である上に、大工の経験がないとむずかしいとのことで
村雨さんは宮大工になるという夢は断念。
そして村雨さんは、求人誌でみつけた造園会社でアルバイトをすることになりました。
今思うと、村雨さんと造園との出会いは偶然のようで、実は必然だったのかもしれませんね
そのアルバイトを経験したことで、庭師になりたいと決意した村雨さんは
ひょんなご縁で愛知県西尾市の造園会社に弟子入りし庭師をめざすことに。
そして村雨さんは、2016年にタレントとして活動をはじめます。
村雨さんが自身の弟子入り生活をSNSで紹介して反響があったことなども
タレント活動をはじめる後押しとなりました。
庭師とタレント活動、ちょっと意外な組み合わせです。
実は、村雨さんが日本の文化や伝統が消えつつあることに危機感を抱きはじめたころに
現在の所属事務所に声を掛けてもらったことがタレント活動のきっかけだったとか。
日本人でも、日本の文化や伝統について深く考えることは
そんなにないかもしれませんので、村雨さんの思いはとても貴重な気がします。
現在にいたるまで自営で庭師の仕事をしながら、
スケジュールを上手く調整して、俳優活動も行っている村雨さん。
庭師と俳優活動はまったく違うジャンルですが
村雨さんはどちらも「表現をする」ことに共通点があると語っています。
庭師として得た感性を俳優活動に、またその逆もしかり。
双方の相乗効果で、ますます村雨さんのご活躍がみられそうです。
そんな村雨さんは、現在はどのような活動をされているのでしょうか。
続けてお伝えします。
村雨辰剛は現在『趣味の園芸』に出演中!
村雨辰剛さんはNHK『趣味の園芸』にナビゲーターとして出演しています。
趣味の園芸🌱
いよいよバラの季節!🌹
新しくできた綾瀬ローズガーデンを訪ね
園芸研究家の河合伸志さんに丈夫で強い品種のバラについて教えて頂きました!
病気に強い品種のバラも増えてるので皆さんも初めてみませんか?🌹初回放送
NHKE 5月11日(日) 午前8:30〜午前8:55ぜひ見てください!☺️ pic.twitter.com/RD1U80XmDM
— 村雨 辰剛 (@MurasameTatsu) May 9, 2025
庭師としての村雨さんは植物にふれていると生き生きと、とてもいい表情をされていて
やはり庭師は村雨さんの天職だと言えるように思います。
村雨さんの植物に対する専門的な知識や、さらに学びを深めようとする姿勢には、
みている側も教えられることが多いですね。
2025年7月に舞台『シーボルト父子伝 ~蒼い目のサムライ~ 共生への旅路』に出演したように
村雨さんは近年は俳優としての活動も目立ちます。
2023年のドラマ『大奥』での青沼役や、大河ドラマ『どうする家康』での
ウィリアム・アダムス (三浦按針) 役を演じた村雨さんの姿も記憶に新しいところです。
村雨さんは、自身の著書『村雨辰剛と申します。』の中で
いつか大河ドラマで侍の役をやってみたいというのが、大きな夢のひとつ
語っていましたので、夢のひとつがすでに叶ったともいえそう。
でも、村雨さんだからこそ演じられる役どころが今後もまだまだありそうです。
「大奥」で村雨さんと共演した 玉置玲央さんについては、こちらでご紹介しています。
あわせてどうぞ。

ところで、村雨辰剛さんという、純和風の香りが漂う名前はどのように決まったのでしょう?
続けてお伝えします。
村雨辰剛に改名したいきさつは?
村雨辰剛さんは2015年、26歳のときに日本国籍をとりました。
そして帰化にあたって、新たに名前を作るという選択をしています。
本名がヤコブ・セバスチャン・ビョーク (Jakob Sebastian Björk) という村雨さん。
新たな名前はご縁のある方に付けてもらいたいと、
村雨さんが頼んだのが、2012年から5年間働いた愛知県の加藤造園の親方。
「村雨」は、親方のお父さんが歴史小説家の村雨退二郎の苗字が好きだったため。
「辰剛」は、自身が辰年生まれであることに加えて、親方から一字をもらい、
ご自身で考えたとのこと。
村雨辰剛さんって、なかなか渋い名前で、由緒正しい響きがありますね。
純和風の名前で、村雨さんのビジュアルとのギャップに最初は驚くものの
そんな村上さんは、独学ながら日本語も完ぺきといえるレベル。
村雨さんの中には、日本人よりも日本人らしいスピリットが流れているのかもしれません。
これからも日本で庭師として、また俳優としての村雨さんのご活躍に期待したいですね。
今回は村雨辰剛さんについてお伝えしました。
中学生のときに、日本についての友だちのプレゼンを聞いたことで
村雨さんは日本に興味をもつようになり、その後、短期留学をへて日本に住むことに。
造園会社に弟子入りしたことで、庭師・村雨さんが誕生し
現在の村雨さんは、庭師と俳優としての活動を両立しています。
そんな村雨さんのますますのご活躍を楽しみに応援させていただきたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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