村雨辰剛の結婚相手は日本人で娘がいる?日本に来たのはなぜ?

俳優(男性)

NHKの「趣味の園芸」で、庭師としてナビゲーターをつとめている
スウェーデン出身の村雨辰剛 (むらさめ たつまさ) さん。

村雨さんは「大奥」season2 や 大河ドラマ「どうする家康」に
俳優として出演することでも注目を集めています。

今回は、そんな村雨さんの結婚相手や子供さんについてや、
日本に来た理由などについてお伝えします。

最後までお読みいただけるとうれしいです。



村雨辰剛の結婚相手は日本人?

村雨辰剛の結婚相手は日本人?

村雨辰剛さん2023年9月現在、35歳。結婚されているかどうか気になります。

村上さんはスウェーデンの高等学校を卒業後に日本に移住し、
名古屋市で英語やスウェーデン語を教える仕事をしていました。

そのころ村上さんは日本人女性と結婚をしていたという情報があります。

村上さんは2011年の東日本大震災の際に、語学講師の契約が終了したのを機に
心配していた家族を安心させるためスウェーデンに一時帰国。

のちのインタビューで

当時結婚していた元妻と一緒に一時帰国したのですが、少し落ち着いた後、すぐに大好きな日本に戻りました。(http://www.highflyers.nu より)

と村雨さんが語っていますので、2011年にはすでに結婚されていたことがわかります。

スウェーデンから再び日本に戻った村上さんは、在留資格などの点から
配偶者ビザをもっていたのではないかと考えられますので
元奥さんは日本人という可能性が高そうです。

村雨さんが奥さんと離婚にいたったのは、震災後に日本に帰って
アルバイトとして庭師の仕事をするようになってからのようです。

震災でお互いに価値観が変わってしまったのか、生活環境が変化したからなのか
村雨さんの離婚の原因はわかりませんが、元奥さんもお幸せであってほしいものです。

村雨辰剛は再婚した?

さて、そんな村雨辰剛さんはまだまだお若いので、
再婚されていても不思議ではありませんね。

今のところ、村雨さんが再婚されたという情報は確認されていませんが
村雨さんの生活には、こんなかわいいパートナーがいるそうです!

同居猫の芽吹きちゃん! 村雨さんのやさしいまなざしがステキですね~
芽吹きちゃんも村雨さんの愛情を一身に受けてしあわせそう!

ということで、独身でも村雨さんは寂しくなさそうです。
芽吹きちゃんとは、いつまでもラブラブで暮らしていただきたいですね。

ところで、そんな村雨さんには娘さんがいるとのこと! 続けてお伝えします。



村雨辰剛は娘がいる!

庭師としても活動していている村雨辰剛さんは
造園業を通して、日本の文化や伝統をSNSで伝えています。

 (画像引用元:https://www.dinos.co.jp)

そんな村雨さんは、インタビューで娘さんについてこんなことを!

自分には娘がいるので、娘がいつか庭師に興味を持つことがあったら教えてあげたいですね。(http://www.highflyers.nu より)

村雨さんは娘さんについて年齢などは明かしていませんが、
元奥さんとの経緯などを考えると、娘さんは中学生ぐらいでしょうか。

村雨さんの娘さんは、村雨さんの元奥さんと暮らしているようですが
「女の子は父親に似る」という説にもあるように、村雨さん似の
かわいいお嬢さんなのではないかという気がします。

そして容姿だけではなく、娘さんには植物を愛するDNAも受けつがれている可能性も高そう。
いつか村雨さんと娘さんと、父娘で庭造りをされる日が来るかもしれませんね!

父娘二代で庭師、というのもカッコよさそうです!

ところで、そんな村雨さんが日本に来ることになった理由も気になりますね。
続けてお伝えします。



村雨辰剛が日本に来たのはなぜ? 名前の由来や、日本語学習法は?

村上辰剛が日本に来たのはなぜ?

スウェーデン生まれの村雨辰剛さんが日本に来るきっかけになったのが、
中学の世界史の授業で、友達が発表した日本についてのプレゼンに興味をもったことでした。

それからの村雨さんは、日本の歴史や文化を勉強して、
とくに戦国時代の「武士道」に惹かれたといいます。

村雨さんは、日本について勉強をして興味が深まったことや、
早くスウェーデンから出て冒険に出掛けたいと思っていたことが合わさって、
日本に住みたいと強く思うようになっていったそうです。

日本に住んでいると、自分の国のよいところにはあまり気づかず
むしろ悪い点にばかり目が行ってしまいがちですが
村雨さんのお話を聞くと、うれしいような照れくさいような気分になりますね。

村雨さんがはじめて日本に来たのは16歳のとき。3ヶ月間のホームステイでした。
ステイ先が鎌倉の近くで、日本文化に深く触れる機会も多かったと思われます。


鎌倉 長谷寺(画像引用元:https://garden-guide.jp)

その後、先にお伝えしたように、村雨さんは高校を卒業してから日本に移住。
名古屋で語学講師として生活します。

村雨さんは東日本大震災後に日本庭園の庭師として修業し、2016年にタレント事務所に所属。
現在は自営業で庭師の仕事も仕事をしながら、タレント・俳優活動を行っています。

村雨さんがタレント活動をはじめたのは、
日本の文化や伝統の消えつつあることに危機感を抱きはじめたころに
現在の所属事務所に声を掛けてもらったことがきっかけだそうです。

そして村雨さんが自身の弟子入り生活をSNSで紹介して反響があったことなども
タレント活動をはじめる後押しとなりました。

たしかに村雨さんのような方が、日本文化について語ってくださったりすると
耳を傾けたくなりますよね。

村雨さんは、庭師とタレント・俳優活動のスケジュールを上手く調整して両立させていますが
庭師とタレント・俳優活動はどちらも「表現をする」ことに共通点があるとのこと。

庭師として得た感性をタレント・俳優活動に、またその逆もしかり。
双方の相乗効果で、ますます村雨さんのご活躍がみられそうです。

村雨辰剛という名前の由来は?

村雨辰剛さんは2015年、26歳のときに日本国籍をとりました。
そして帰化にあたって、新たに名前を作るという選択をしています。

村雨さんは、新たな名前はご縁のある方に付けてもらいたいと、
2012年から5年間働いた、愛知県の加藤造園の親方に頼んだそうです。

「村雨」は、親方のお父さんが歴史小説家の村雨退二郎の苗字が好きだったため。

「辰剛」は、自身が辰年生まれであることに加えて、親方から一字をもらい、
ご自身で考えたとのこと。

村雨辰剛さんって、なかなか渋い名前で、由緒正しい響きがありますね。

純和風の名前で、村雨さんのビジュアルとのギャップに最初は驚くものの
村雨さんの中には、日本人よりも日本人らしいスピリットが流れているようです。

村雨辰剛が日本語が上手いのはなぜ?

日本語もとても流暢で、美しい言葉づかいをされている村雨辰剛さん。
どのように日本語を習得していったのでしょうか。

村雨さんが実践した方法は「英日辞書を購入し、単語を片っ端から頭に叩き込む」
ことだそうです。

村雨さんは平仮名とカタカナを覚えて、漢字はふりがなを頼りに辞書を引いていった
といいますのでなかなかのスパルタ式ですね。

ある程度のボキャブラリーを得たところで、日本に関する情報を検索したり、
チャットをするようになっていき、日本語を覚えていったようです。

村雨さんが文字として日本語を覚えたことはわかりましたが、話すとなると、また別の話。

スウェーデンにいたころの村雨さんは YouTube で日本語の番組を観るなど
日本人の使う「生きた」日本語を聴いて、コピーして覚えていきました。

とにかく、聞いて、聞いて、聞きます。
『村雨辰剛と申します。』(新潮社) より

村雨さんはそうやって日本語の「音」に慣れていったのだとか。

がんばれたのは「とにかく日本が好きだったから」という村雨さんに
なんだかに日本人としてお礼を言いたくなります。

「言葉は永遠にアップデートが必要」という村雨さん。
庭師としても、俳優としても活動するかたわら、常に言葉のアップデートもされていて
村雨さんの姿には見習いたいところがたくさんありますね!

村雨さんはドラマ「大奥」や「どうする家康」への出演でも話題になっています。
日本語のセリフにも注目したいですね! 続けてお伝えします。



村雨辰剛は大河ドラマ「どうする家康」や「大奥」に出演!

村雨辰剛は大河ドラマ「どうする家康」に出演!

村雨辰剛さんは、大河ドラマ「どうする家康」への出演でも話題になっています。

村雨さんが演じるのは、イギリス出身で外国出身者として初めてサムライの称号を得た
ウィリアム・アダムス (日本名:三浦按針)。

アダムスは極東を目指す船の航海士でしたが、関ヶ原の戦いの半年前に現在の大分県に漂着。

アダムスに扮した村雨さんの写真が先日公開されましたが
とてもワイルドなルックスで、一見しただけでは村雨さんだとわからないぐらい!

アダムスは家康の通訳をつとめたり、幾何学などを家康や側近に教えたり、
また船大工だった経験をいかして大型船を造ったといいますので
もともと多才な人物だったのでしょう。

のちに家康に旗本にまで取り立てられたアダムスは、
三浦按針という名前で武士として生き、日本で生涯を閉じました。

村雨さんは、自身の著書『村雨辰剛と申します。』の中で

いつか大河ドラマで侍の役をやってみたいというのが、大きな夢のひとつ

語っていましたので、「どうする家康」でウィリアム・アダムスを演じることで
その大きな夢も叶ったといえそうです。

アダムスのように異国から日本に来て暮らしている村雨さん。
もしかしたら、ときどきご自身の中でアダムスと一体化する感覚もあるのかもしれませんね。

村雨辰剛は「大奥」に出演!

村上辰剛さんは2023年10月から放送がスタートした「大奥」Season2にも、
オランダ人と日本人のハーフの蘭学者として出演しています。

村雨さんがこのドラマで演じる青沼は、大奥で蘭学を教えるかたわら
「赤面疱瘡」という奇病の研究にもあたっています。

青沼は患者の身分に関係なく治療にあたる良心的な医師でもあり、
村雨さんの誠実そうなイメージに重なるところもありますね。

大河ドラマのアダムス役とはまた違った村雨さんの演技がみられそうで楽しみです!

「大奥」で村雨さんと共演している 玉置玲央さんについては、
こちらでご紹介しています。あわせてどうぞ。

玉置玲央の父親は玉置浩二?兄弟はいる?結婚した妻や子供は?
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続いて「趣味の園芸」でナビゲーターもつとめている、村雨さんのwikiをご紹介します。



村雨辰剛のwikiは?

村雨辰剛のwikiは?

村雨辰剛さんのwikiはこちらです。

本名    ヤコブ・セバスチャン・ビョーク (Jakob Sebastian Björk)
出身地   スウェーデン・エンケルユンガ
生年月日  1988年7月25日
国籍    スウェーデン→日本
血液型   血液型:O型
事務所   ワイエムエヌ

村雨さんは、もともと神社寺院やなどの建築に興味があり、
震災後に日本に戻ってからやってみたいと思ったのは、なんと宮大工の仕事だったそうです。

しかし、宮大工は専門的な仕事である上に、大工の経験がないとむずかしいとのことで
村雨さんは宮大工になるという夢は断念。

その後、アルバイト情報誌をみていて、村雨さんは造園会社の仕事をみつけました。

そこから村雨さんの庭師としての人生がはじまるわけですが
村雨さんと造園との出会いは偶然のようで、実は必然だったのかもしれませんね。

村雨辰剛は庭師として「趣味の園芸」にも出演中!

村雨辰剛さんは、庭師としてもでNHKの「趣味の園芸」に出演中で
俳優で演じているときとは異なる、村雨さんの一面をみることができます。

庭師としての村雨さんは、植物にふれることで生き生きとして
とてもいい表情をされています。

やはり庭師も村雨さんの天職だったのですね~
村雨さんも、俳優として、そして庭師として、二刀流を究めていらっしゃるようです。

 

今回は村雨辰剛さんについてお伝えしました。

村雨さんが娘さんとの絆も大切に、これからも庭師&タレント・俳優として
活躍されるのを楽しみに応援させていただきたいと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。



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